「想像」と「創造」と「イノベーション」

 こんにちは、こんばんは。

 

 まず初めに、このブログを御覧になっている皆さまにお詫びしたいことがあります。前回までのブログで『僕が「発達障害」的な部分がある』という旨のことを書かせて頂きました。私の同級生から

 「安易にそのような文言を使えば、障害の当事者並びに、当事者の親御さんや親せきの方々を不快にさせてしまう恐れがある」

 

という指摘を受けました。

 私も「あまりにも簡単にこの話題に触れすぎたのでは」と反省しています。もし、不快な思いをされた方がいらっしゃいましたら、大変申し訳ありませんでした。釈明させて頂けるならば、自己判断のみに基づいた記述ではないことは明記させて頂きます。ただ、このことを自分の周囲の方々には全く話していなかったこと、また、私自身も自分のそのような一面について真剣に考えるようになったのは、本当にごく最近であることなど、から自分も皆さま(特に知人・友人)がびっくりされたことはあると思いますし、私自身、知識が足りない中、軽率な行動だったと感じております。自分の文章構成の拙さへのコンプレックスがあり、その言い訳をして使ってしまった部分は否定できません。今後は、「発達障害」関係の話題を不用意に取り上げないことを心がけますので、ご了承頂きたいと考えております。

 

 さて、今回のブログの内容に入っていきます。今回は「イノベーション」という言葉から話を展開していこうと思います(この言葉も常々僕の頭の中にあったものです)。「イノベーション」は元々英語の「innovation」という言葉です。日本語ではよく「イノベーション」を「技術革新」と訳してします。しかし、大学での授業を受けるにしたがって、この「技術革新」というこの単語に対する解釈は適当なのか、という疑問が沸いてきました。そこで、今回このブログを書くにあたって、平成18年度版の科学技術白書から「イノベーションとは」(参考文献:平成18年版 科学技術白書 コラム目次 07−文部科学省)という文章を拝見しました。これによると、イノベーションは、

 

イノベーションという言葉は、オーストリアの経済学者シュンペーター(Schumpeter)によって、初めて定義された。その著書「経済発展の理論」の中で、経済発展は、人口増加や気候変動などの外的な要因よりも、イノベーションのような内的な要因が主要な役割を果たすと述べられている。また、イノベーションとは、新しいものを生産する、あるいは既存のものを新しい方法で生産することであり、生産とはものや力を結合することと述べており、イノベーションの例として、1創造的活動による新製品開発、2新生産方法の導入、3新マーケットの開拓、4新たな資源(の供給源)の獲得、5組織の改革などを挙げている。また、いわゆる企業家(アントレプレナー)が、既存の価値を破壊して新しい価値を創造していくこと(創造的破壊)が経済成長の源泉であると述べている。

*1

 

 イノベーションとは、新しいものを生産する、あるいは既存のものを新しい方法で生産すること」である、と定義されています。一方、シュンペーターは「イノベーション」の例として

 

1創造的活動による新製品開発

2新生産方法の導入

3新マーケットの開拓

4新たな資源(の供給源)の獲得

5組織の改革

 

などを挙げています。僕はこの二つを見比べた時、やはり疑問を感じます。特に5の「組織の改革」に関しては、もちろん技術革新を直接目指した組織改革もあるでしょうが、それ以外の方法、例えば、事務処理の効率を上げるなど、して技術革新のための金銭的、時間的余裕を組織に作る、という改革の形も考えられます。前者に比べて、後者の改革は「モノ」的な生産とは結びつきにくい、1つのアイデアです。また、「新生産方法の導入」も元々は1つのアイデアであり、それを取り込むことによって起こります。それらから「イノベーション」という概念は、「技術」という「モノ」的な観点だけに限らない、もっと多くの要素を含んだ言葉なのはないかと考ました。

 

 この「イノベーション」は元々英語の概念なので、Oxford Advanced Learner's Dictionaryを参照しました。

 

「innovation」…The action or process of innovating*2

 

これらを参考にするとイノベーション」とは、「革新、刷新(innovating)の過程ないしは行動」となります。先ほどの文科省の定義である「新しいものを生産する、あるいは既存のものを新しい方法で生産すること」とは少し異なる概念としての「イノベーション」が見えてきたと思います。このようにして考えると「技術」という限定された枠だけでなく、より広いという枠組みで「革新、刷新」という言葉が捉えられると考えます。また、「技術」という言葉から感じられる「モノ」的な側面も「革新、刷新」という言葉でより「ソフト」な方向にも考えやすくなります。「スマートフォン」という機器の出現も大きなイノベーションですが、これの元となっているソフトウェア、半導体など、この中に組み込まれている1つ1つがイノベーションによって生まれていることがわかります。こうしたイノベーションは不連続的に生まれたものですが、それらが偶然1つの「スマートフォン」などの大きな形として私たちの前に現れます。私たちが認識するころには、「モノ」という形になって出現しますが、実際には連続性を持たないイノベーションの集合体です。連続性を持たなかったイノベーションがが連続することで新たなイノベーションを起こす「母体」となるのです。イノベーションはこうした「不連続性」と「連続性」を併せ持った不思議なものなので、非常に興味深いと思っています。今、「繁栄」という本を読んでいるので、読み終われば、こうしたイノベーションの特徴についても再度記事を書きたいと思います。

 

 では、「イノベーションを起こすには、何が必要だろうか」と考えます。それは、「想像」と「創造」だと僕は考えます。これはもしかしたら、以前ブログで同じことを書いたかもしれません。おそらく、「想像」と「創造」は僕にとってのキーワードといえるかもしれません。「想像」と「創造」は本来全く違う概念で、先述した通り、本来、不連続的です。かの手塚治虫氏が「鉄腕アトム」で未来の日本の姿を描いた時、時の科学者はそれにそった実験をしていた訳ではありません。しかし、「神の見えざる手」に導かれたように、手塚氏の「想像」と科学者の研究結果である「創造」は(全く同じではないにしても)ほぼ一致した形として私たちの社会に現れてきています。今僕は「神の見えざる手」というアダム・スミスの有名な言葉を使わせて頂きましたが、一見導かれたようなこの奇妙な一致は、

『「想像」と「創造」の結合』

という人間の重要な特徴を表していると考えます。

 

 人間は、この『「想像」と「創造」の結合』を果たしたことでここまで発展したのだと考えています。本来全く異なる概念であるこの2つを私たちは知らず知らずのうちに、文字や言語、絵などの手段によって共有し、「想像」と「創造」という2つの概念を絶えず不可分なものにしようと奮闘してきたのです。もちろん、元々は完全に違う概念のため、完全に一致させることは出来ませんが、絶えず一致させようとした結果が現在の人類の繁栄につながっていると考えます。

 

 まとめると、「イノベーション」とは、「革新、刷新(innovating)の過程ないしは行動」である、という定義を改めてここに提示し、「革新・刷新」を『「想像と創造」の結果』であるとすると、「イノベーション」は単なる「技術革新」を指す言葉ではなく、「人間が繰り返してきた発展のための過程である」と捉えれば、「技術」という言葉に縛られない、新たな「イノベーション」像ができると考えます。

 

 最後になりましたが、今回は「想像」と「創造」、並びに「イノベーション」という言葉を使って考えました。正直、自分の文章力の無さを書きながら痛感しておりますが、シュンペーターの主著を始め、より自分が「イノベーション」ということについて理解が深まった際に、この話題については取り上げるつもりですので、今回はこのくらいの議論で締めくくりたいと思います。ご不明な点、反論、感想、疑問等々ございましたら、どうかコメント、ないしfacebook上にメッセージをお寄せください。

 

今回もお読み頂き、ありがとうございました。

*1:平成18年版 科学技術白書 コラム目次 07−文部科学省」より

*2:Oxford Advanced Learner's Dictionary」より