映画「僕はイエス様が嫌い」感想(ネタバレ有り)

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≪謝辞≫
この映画を作られた奥山監督並びにスタッフの皆様へ最大限の賛辞をお送りいたします。
日本というキリスト教徒が少ない国で真正面から「神の沈黙」という大きな課題をテーマにされ、映画を作成し、公開されたことはとても情熱のいることと思います。

今回の評論は肯定的な感想のみではありませんが、大前提として皆様への深い感謝があることをお心に留めていただければ幸いです。

 

≪STORY≫

「祖母と一緒に暮らすために、東京から雪深い地方のミッション系の小学校へ転校することになった少年ユラ。日々の礼拝に戸惑うユラの前に現れたのは、小さな小さなイエス様だった。他の人には見えないけれど、願い事を必ず叶えてくれるイエス様を信じ始めたころ、ユラに大きな試練が降りかかる…」(公式サイトより引用)

≪感想≫

  • 場面設定

主人公の「ユラ」くんは小学5年生という思春期の入口で親の転勤のため住み慣れた東京から雪深い田舎町に引っ越してきます。また、性格は大人しく、「大人の求めている答え」を知っている1っ子です。

 

引っ越した先は木造校舎のミッション系の学校でした。朝の挨拶の後、礼拝のため皆は礼拝堂へ行きますが、ユラくんは「どうすればいいのか」、「これから何があるのか」分からず礼拝のための聖書も持っておらず、先生から貸してもらいます。

 

これらの描写からユラくんの不安感や慣れない環境への戸惑いが分かります。

 

そして、聖書のイエス誕生の部分が礼拝堂で読まれます。この日の前日の夜に越して来たばかりで翌日の朝初登校したユラくんは「イエス」のオマージュであることが分かります。

 

ここまでを纏めると心理描写、状況描写から繰り返しになりますがイエス≒ユラくんであり、さらに言えばユラくんに何らかの受難が襲い来るメタファーにもなっています。

 

《ユラくんへの救いと受難》

新しい環境に戸惑ってしたユラくんに「ヒーロー」が現れます。クラスの人気者で、勉強も、スポーツも出来て、しかも優しい友達、ダイチくんが現れます。この辺りのシーンは「万引き家族」なんかでも見られたパン画面でのショット、子役の自然な演技(もはやそこで普通の友達が遊んでいるとしか思えないほど)序盤とは明らかに違うユラくんの表情など本当に素晴らしいものばかりでした。

 

上記の数々を「救い」と言えるなら、ここからは「受難」の物語があります。ある日、体育の授業でダイチくんにやられてばかりだったユラくんは思わず授業を抜け出し学校を早引けしてしまいます。優しいダイチくんはユラくんの様子を見にユラくんの家へ「サッカーボールを蹴りながら」向かいますこのシーンは遠くから小さな交差点が何本もある道を「遠くから」ダイチくんが走って来ます。正直、もう嫌な予感しかしません…。案の定彼は軽トラックに追突されてしまいました…。間も無くユラくんにとってはもしかしたら最初の「親友」と呼べる存在はこの世を去ってしまいます。

《ユラくんの「答え」》
ダイチくんとのお別れ会の日程がきまり、ダイチくんの母親からの希望で弔辞を読む事になります。

そして、当日、ダイチくんの両親は父親は仕事で来られず、それまでの登場シーンでいつもニコニコしていた母親のみが悲し過ぎて涙も出ない、そんな表情で参列しています。そこでユラくんは弔辞を読み上げ、聖書に手を着いて祈ろうとする時、イエスが聖書の上に現れます。イエスそれまで何度も登場し、ユラくんの「友達が欲しい」、「お金が欲しい」などの願いを叶えました。しかし、「ダイチくんを救って欲しい」、と願ったとき、イエスは現れませんでした。そして「全てを失った後」再び現れたイエスをユラくんは握っていた拳を思いっきり振り下ろし、彼を消し去ります。

《結末について、「神の沈黙」》

ラストシーンは最初の過去シーンで現在はすでに亡くなっているおじいちゃんがしていたように障子に穴を開けてみたユラくんは、おそらく学校の校庭を見、ダイチくんと遊んでいた日々を思い出し、彼が救われたことを暗示していました。

ユラくんは、救われたのです。
でも、ダイチくんのお母さん、クラスメイト、先生はそのままです。

もちろん、敢えてそういう登場人物を絞ったラストにすることもいいです。だた、「10,11歳の少年の成長」を描く描写としては少しうすいと思います。

ベッタベタのコッテコテのラストでいいなら、ユラくんが涙すら泣かせなくなったダイチくんのお母さんを抱きしめるのはどうでしょうか。

「1人しか救えなくても、もう誰も救えていないイエスや教会よりマシだ」というメッセージになりますし、聖書を引き裂いてもいいと思います。

もちろん、それらの隣人を愛する描写が「善きサマリア人の例え」のようなキリスト教と不可分な要素を内包するので、奥山監督がそれを良しとされなかったのかも知れません。

いづれにしても、それまでの描写がよかったために「もったいない」と思わせるエピローグでした。

このブログをご覧になった方でこの映画を見られた方は、コメント等いただければ幸いです。